パプリカ商店 ブログ
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Fischer出版 2004年 フランクフルト・アム・マイン 190ページ
山腹のホテルのテラスで出会った男は、妻を殺したのか。偶然出会ったかに見えるふたりの男が交わす会話から、意外な真実が浮かび上がる――
独身生活を謳歌する弁護士の「僕」は35歳。スイス山中の別荘にやってきた晩、ホテル・ベルヴューのレストランに食事に出かける。アルプスを見晴らすテラスには空いたテーブルがなく、ロースと名乗る男と相席することに。こうしてふたりは徐々に会話を始める。
時代について、市場経済について、哲学や神について、ふたりの会話はどんどん広がっていく。やがて「僕」は、ロースの話のなかにしきりに彼の妻が登場すること、それがすべて過去形で語られることに気づく。ワインを飲みながら、深夜まで会話は続く。やがてロースは、妻はちょうど1年前にこのホテルで亡くなったと言う。ロースの話の矛盾や曖昧さから、ふと「僕」の脳裏に、彼が妻を殺したのではないかという疑念が浮かぶ。
思いのほか話が弾み、ふたりは翌晩また同じテラスで待ち合わせる。ロースにうながされるままに、人妻ヴァレリーとの情事について語る「僕」。最後はヴァレリーの気持ちが重くなり、やはりこのテラスで別れ話をした。1年前だ。ロースもまた、徐々に妻の死までの経緯を語り始める。
飲みすぎたふたりは、そのまま「僕」の別荘へ。そこでロースはついに、妻が1年前に滞在先のホテルで事故にあって死んだと話す。ふたりは翌日また再会の約束をする。だが帰り際、ロースは「勘違いしたままでいればいい」と謎の言葉を残す。
翌日、約束の時間にテラスで待ったが、ロースは現れない。ホテルのレセプションで尋ねてみるが、ロースという名の男は泊まっていないと言われる――
レストランのテラスで始まったなにげない会話が、最後にはまったく違う意味を持つことになる。ロースが「僕」に気づいたのはいつか。そもそもテラスでの出会いはまったくの偶然だったのか。さまざまな仮説が頭のなかをめぐり、もういちど最初からページをめくってみずにはいられない。注意深く再読すると、いたるところに巧妙な伏線が張られていたことに気づく。
最後に明らかになるのは、「僕」の根本的な勘違いだ。それも、ロースとその妻の正体に関する勘違いばかりではない。自分が捨てたと思っていた愛人ヴァレリーは、本当に「僕」を愛していたのか? そもそも「僕」は、自分の周りのすべてを都合よく解釈して生きてきたのではないか。それまで自信に満ちていた「僕」の世界が反転する。
緊迫感に満ちた会話から幕切れの意外性にいたるまで、精緻に練り上げられた良作。1944年生まれのスイス人作家ヴェルナーはドイツ語圏全体で人気作家としての地位を確立しており、作品はどれも非常に評価が高い。ヨーゼフ・ブライトバッハ賞(2000年)、ヨハン・ペーター・へーベル賞(2002年)など多数の文学賞を受賞している。特に本書は刊行後爆発的な人気となり、現在までの売り上げは40万部に上る。
Am Hang Markus Werner
山腹のテラスで マルクス・ヴェルナー著
浅井晶子評
2011年10月25日火曜日
ドイツ語原書書評を担当してくださる浅井晶子さんは、これまで『太陽通り』(三修社)『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』(河出書房新社)、『アフリカで一番美しい船』(ランダムハウス講談社)、『シルフ警視と宇宙の謎』(早川書房)ほか、数々の翻訳を手がけてきた、ベルリン在住の翻訳家です。
最新の訳書は『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』(白水社)、『真昼の女』(河出書房新社)。